2025/04/09 04:44

                                                 


”福家佳則のプロフィール”です。 (Yoshinori Fuke)

現在は油彩画を描いていますが、水彩やアクリル画も描いてきました。

50代後半から絵画を再開し、以来15年ほどになります。

しばらくは手探りの連続でしたが、

最近は公募展で受賞できるまでに!

また、グループ展や個展などを通じて絵画を購入してもらえるようになりました。

<<絵を始めるまでの私>>

1953年9月に香川県坂出市で生まれました。


私は姉一人の長男で生まれ、父が5歳の時に交通事故で亡くなったので、母の手で育てられました。

母は頑張り屋でしたので、あまり不自由を感じずに育ちました。

子供の頃から体育が苦手でしたが、一方、アートに触れる環境でもありませんでした。

不幸にも(笑)、小学校の時にたった1回だけ何かの絵の賞を取ったことで、自分は絵が上手いと思い込んでいました。よくある話ですね。

生まれ育った場所は、今でも下の絵のような田舎です。

大学は信州大学の土木工学科を卒業しています。松本で見た北アルプスの山々は衝撃でした。

高校時代から映画や軽音楽などに興味を持っており、「アートの道に進みたい」と言う強い思いを持っていました。
しかし、何ら裏付けや自信もなく後ろ髪をひかれながら、そのまま建設の道へ進んでいきました。
昭和の建設ラッシュの時代でもあり、自然の流れだったのかも。

大学卒業後、鹿島建設株式会社に入社しました。
会社では国内のトンネル工事現場、主に岩盤地帯に造る山岳トンネル現場で技術者として勤務しました。

<<絵画を始めてからの私>>

若い頃には絵画同好会に入るなどして絵画を楽しんでいましたが、結婚後は仕事と家庭で精一杯となり絵画制作を中断しました。
50歳代後半になり定年退職が見えてきた時、再びアートに対する強い思いが湧いてきました。
そして、第二の人生で思いっきり絵画を楽しもうと、その準備のために新宿の絵画教室に通い出しました。

定年間際には、北アフリカのアルジェリア/コンスタンティンで約2年間勤務しました。
アルジェリアでは、治安上から外出を制限されたため、絵画教室で習った水彩画が唯一の楽しみでした。

私は、旅行好きで日本各地や海外へも度々出かけました。
出かけた先々でお気に入りの風景を撮っておき、今でもモティーフにしています。
特に、地中海沿いの国々が印象深いです。

アルジェリアから帰国後は、本格的に絵画制作に取り組んできました。しばらくは水彩画を続けていましたが、ある時、絵画教室の先生の指導でアクリル画に変更しました。
そろそろ腕試しをたくなり、公募展にも出品しました。
しかし、初めの頃はせいぜい入選どまり、落選することも多かったです。

会場に並んだ絵をみて自分の画力のなさにがっかりしたものです。
特に重厚感のある油絵には圧倒されるばかりでした。
そこで、今度は油絵に変更したのですが、水彩のように見よう見まねでなんとか描ける画材ではなく、ますます深みにはまっていきました。
絵画教室を変えたり、イギリスの大学に短期の絵画留学をしたりしましたが、思うような進歩は得られませんでした。

やっぱり美大を出ていない、元土木屋では限界かなと本当に悩んだものです。
そこで、「このままではダメだ。絵画の画材や技法について基礎から習得し直そう」と決心しました。

それから主にオンラインを使っていろんな講座で勉強しました。
デッサン、水彩画、アクリル画、油彩画、箔の使い方や絵の下地についてまで、それらの画材から技法まで学びました。
現在の私の礎になった出来事でした。



<< 最近の私 >>

遠回りの絵画人生でしたが、
おかげでここ数年は賞をいただく機会が格段に増えました。
公募展「地展」では、愛媛県知事賞特選をいただきました。
また、個展を開催したり、グループ展やWEB展にも参加しています。

2023年12月から1月に高松で初の個展、2024年9月には大阪でも個展を開催しました。
個展では、ありがたいことに8作品をお求めいただきました。

購入者様からは、お部屋に飾った様子を送ってもらえました。作品を大切にしてもらい、本当にありがたいです。

私の願いは、多くの方のお部屋に作品を飾ってもらうことです。
気に入っていただいた作品がございましたら、お気軽にお申し付けください。